つたえるために
森閑(しんかん)とした夜(よ)さりの境内、おぼろな月影がかすかにモノの輪郭を見せてくれるくらいで、さっきまでの騒ぎがまるで何もなかったかの様。
-やりすぎちゃったかなぁ…。ま、らしくもなくちょっと慌てたのもあるけど、、、いくら神具とはいえ武装しなくてもよかったかも、ね。
宝輪から放たれる光の連なりは信仰の心が強く深ければそれだけ解放の作用が大きくなる。何かしら内に籠る常ならざるものを解き放ち常態化させるという意味では正しい選択だったと言えるだろう。
「夜中で眠っていた時間だったから、元に戻すとこうなっちゃうわけか…」
宙を見上げるサラの瞳に映る星の輝きもまた、心の奥底にある輝きそのままなのだろう。古の時代に神々がバーラットの民に伝えた星読みの知は今も伝えられていると聞くが、ラートリー神も夜宙に映る星々から人々に己の内面を見る術を与えようとはよく考えたものだ。それを宙の概念を持たせることに、延いては輪廻転生を思想させることにつなげようとは―神業などという言葉がうまれるわけだ。

争いが絶えない。
数多の時代の区切りを重ねてきたとしても人の本質は変わっていない。高々(たかだか)数千年程度では変わりようもないのか、とも思うが、時の流れのみに由(よ)るものでもまたないのかもしれない。生きるために、飢えの苦しみから解き放たれるべくもたらされた食の余剰が人と人との格差の歴史のはじまりとなり、争いの基となってしまったのは皮肉としか言いようがない。『争』という文字は農具の鋤(すき)を奪い合う姿を模(も)して人が作り出したものというが、なるほど頷けてしまう。もし人と人が互いの思うところを表から裏から、種々雑多曲げずにそのまま受け止めることができるならば或(ある)いは…。
「つまり感じ取るチカラ、か-阿弥陀さまの仰ることもわかるけれど…」
感じとり解することを扶(たす)けるため人に与えられた五感は残念ながら組み合わせて使ってもなお拙(つたな)い-。阿弥陀さまより伝えられた想い、というのか、それを人と人との間に染み込ませるようになど、正直そううまくは運ばない気しかしてこない。渦巻く人と人との思いのズレが沙蕾に奔(ほとばし)る流れとなって圧しひしぐように雪崩(なだ)れこんできた。
-言葉なんかでは結局何も伝わらない。言語が同じ?だからなに?それ意味ないくらい役立たず…言ったってムダ、書いたってムダ、わかろうとしない方が悪いっ!伝えるのが下手?コトバのチカラが足んないだけじゃない?棚に上げていうのやめろ…意味わかんないッて意味不明。目は口ほどにものを言う?ハ、冗談、そんなに便利に機能してるの見たことないし。視線、目線、そもそも何か伝える方法だった?眼球まわりの筋肉にチカラ入れて凝視したって、プルプルするわりに効果無効。ヒカリのウケ機能とウケ機能並べて何かちゃんと伝えられるならやってみせてほしいね!耳ってなんのためについてんの?都合いいところだけ通す笊(ざる)フィルター機能?なんか見た目だけ多機能っぽい使えないものナンバーワン?人は触れ合えばわかる?まっさか冗談、そのはるかずっとずっと手前で争っているのに?-
「クリアしなければならない課題は、なんとも、、、」

そんなことにサラが思いをめぐらせていると、背中の本堂からうっすらと灯りがもれていた。横たわっていたはずの院主は─
こっそり中を覗(のぞ)いてみると、院主は何かの機材を線でつなぎ合わせている様だ。じっくりと耳を傾けながら調整をしているみたい。先ほどまでの険しさが落ちた顔つきは、何かを感じ取ろうとする気魄(きはく)に満ち溢れている。
一通りつなぎ終えた院主はまたなにやら抱えて持つような大きさのものを、手慣れた手つきで奥から引っぱり出してきた。そしてそれを先ほどの機材に線でつないでいる。
「むむ、まさかまた武具では…いやあれは、院主の弦鳴楽器(げんめいがっき)か?」
院主はギターで何かをしようとしているのだろうか。それならば存外早いかもしれない、とサラは『プルシャの尺度計』を院主に向けてみた。自我の本質、真我、魂と一旦言い換えてしまってもよいのだろうか、個々の最も深いところにあるプルシャは他者の深きところにたどりつけるチカラ。その色、カタチ、大きさ、温度を測ることができる尺度計は個々が持つ真我の可能性を見せてくれる。尺度計は、院主の熱いほどに温かで大きく包み込むような真我のすがた形をサラに見せていた。
その時ちょうど準備ができたのか、院主がこちらに向かって親指を立てて見せた。セッションをはじめてみよう、ということらしい。習うより慣れてみよ、ということかな。自らも弦鳴楽器を取り出すサラの口角は、知らずと上がってきていた。

